小田原・足柄地域連合 役員研修会in福島視察

 小田原・足柄地域連合は、役員研修会として東京電力労組と協力し、福島県双葉郡浪江町~双葉町~楢葉町~大熊町など福島被災地訪問を含めた福島第一原発の視察を2022年10月30日(日)~31日(月)に行ないました。

◆震災遺構 浪江町立請戸小学校

 海を目の前にした小学校。2021年10月27日に一般公開を開始。ちょうど1年経っての視察となった。津波の恐ろしさを伝えるための遺構であると同時に、「全員が助かった」という奇跡のストーリーを伝えるために残された小学校。迅速な情報伝達と先生と生徒が協力して大平山に避難。日頃の訓練も大切だが訓練通りやればいい訳ではない。大切なのは常に最善を選択していくこと。この偶然が重なって生き延びることができたという教訓を学んだ。体育館には卒業式の準備の痕跡が残っており、時間が止まっている様を感じずにはいられない。

◆東日本大震災・原子力災害伝承館

 ここには、発災前の地域像を示す資料、発災当時およびその後の避難生活を示す資料などを見ることが出来た。地震、津波、原発事故の被害を伝える実物資料や証言映像に加え、タッチパネル、模型などもあり、未曽有の複合災害に理解を深めることができる。

語り部の方がその場で説明してくれるのでリアル感が伝わりやすい。福島第一原発の模型があり、「予備の発電機を地下ではなくこの高台に設置したらメルトダウンは防げたかもしれない」と言っていたが、翌日この高台から原発を眺めることとなるとはこの時は思わなかった。震災前の暮らしから地震と津波、原発事故発生までを時系列で知ることができ、当時は何度も目にした水素爆発の映像を久しぶりに目にして、恐ろしさを改めて痛感させられた。

◆Jヴィレッジ(宿泊先)

 ここもただのホテルではなく、Jヴィレッジの歴史や震災時の話、役割りなどについて聞くことが出来た。1997年に開設した日本サッカー界初のナショナルトレーニングセンター。原発事故により国が管理する対応拠点となった場所。敷地内にはメディカルセンターもあり、震災時は医療施設として活躍した。ピッチも震災時は駐車場と化し、2018年の本格再開までは荒れ放題の野原と化していた。

◆東京電力廃炉資料館/福島第一原子力発電所

 最初に廃炉資料館で係員から見学時の注意事項等を聞き、シアタールームで原発事故の説明と資料館で映像を観た。そして一人ひとりが線量計を身に着け専用のバスへ乗車。バスは国道6号線を走り、途中線量の高い一般道を通りながら原発構内へ侵入。車内に設けられた線量計もだんだんと上がっていく。

原子炉冷却用の汚染水を貯蔵するタンクが所狭しと数並んでいる(容量1000~1300トンのタンクが1000基以上)。いまも1日に140トンもの汚染水が増えている。

放射性物質を除去した「ALPS処理水」と言われるものがあるが、セシウムとストロンチウムは除去できてもトリチウムという放射性物質は取り除くことができない。最近「海洋放出」することを原子力規制委員会が認可したが、すでに世界中の数多くの原子力施設でも、規制基準を満たすよう希釈した上で、トリチウムの海洋放出は実施されている。

福島第一原発の廃炉は福島の復興に不可欠なこと。ALPS処理水の海洋放出の決定は、その「廃炉」と福島の「復興」に向けた大きな一歩である。復興には、福島や原発の“いま”について、科学的な根拠に基づいた情報を、国民1人1人が慎重に見きわめ、正しく知って、身近な人に正しい情報を広めていくことは、それだけで「復興」の何よりのサポートになると訴えている。そして足元ではたくさんの作業員が、地道な長い道のりに向けた作業を、毎日毎日コツコツと積み重ねている。後半は、ALPS処理水の説明を受けて、厳重なセキュリティゲートをパスし、バスは廃炉資料館へ戻るのだが、途中の6号線沿いには商業施設が当時のままの姿でそのままになっていた。かと思えば、新しい建屋や公共施設が出来ていたりと、一部で時間が止まったままのものとが共存している姿の方が印象に残った。

 2日に亘り、請戸小学校、Jヴィレッジ、廃炉資料館、福島第一原発を視察してきたが、誰もが口にするのは、「この出来事、事件を決して風化させてはならない。」ということ。これを肝に銘じて視察を終えた。