東日本大震災から12年目、県外視察で仙台を訪れました。

8月21日から22日にかけて、横浜地域連合の五役と各地区連合代表は県外視察を行いました。例年、県外視察は「連合政令指定都市地域協議会連絡会議」の前日に実施され、開催地協の地域にある関連組織の工場や企業等を見学させていただいています。今年の連絡会議は横浜開催だったため、県外視察を単独で実施することになり、東日本大震災から12年目の夏を迎えた仙台市内の震災遺構を中心に視察しました。

視察には地元塩釜地域協議会から小田島事務局長にもご参加いただき、移動のバス内や意見交換会の場でご自身の体験をもとにした防災・減災への思いを語っていただきました。

震災発生時、塩釜地協の事務局で勤務されていた小田島事務局長は、地震でのケガはなかったものの、その後押し寄せた津波では一歩間違えれば巻き込まれ、命を落としていたかもしれなかったそうです。ご自身は助かりましたが、親しい方々がたくさん亡くなり、報道では伝えられていない悲惨な状況も数多く目にし、できれば思い出したくないことばかりですが、それでも自分と同じような苦しみを味わってほしくないという気持ちから、多くの仲間に体験談を伝えているとのことでした。

【塩釜地協 小田島事務局長】

震災遺構の「荒浜小学校」では震災当時校長だった川村さんにガイドをしていただき、校舎内を見学しました。4階建ての校舎で津波は2階部分までよし寄せたため、3階と4階、屋上に避難した地域住民の方々は無事でした。しかし1階は完全に壊され、校舎内には流されてきた瓦礫や自動車が山のようにあったそうです。多くの方が暮らしていた荒浜地区の航空写真や模型が展示されていましたが、当時あった住宅街はすべて流され、いまはどなたも住んでいません。津波の威力のすさまじさを感じました。

【荒浜小学校】

名取市の津波復興祈念資料館「閖上の記憶」ではお子さんを震災で亡くされた代表・語り部の丹野さんのお話を伺いました。あの日何が起こったかを語り部となって伝えていくことで、いざという時に一人でも多くの方が生き残り、大きな被害を被らないよう活動されているそうです。ここに至るまで大変つらい思いをされてきたことと思いますが、そのつらい体験を私たちにしっかりとお話ししてくださった丹野さんの明るい表情から、ご自身が乗り越えて来れられたものの大きさを感じることができました。

【閖上の記憶】

今回の視察では仙台市内や周辺の地域を見学しましたが、震災から12年経ったため、目に映る景色は震災遺構以外に当時の状況を思い起こさせるものはありません。しかし、震災以前の写真と現状を見比べると、本来そこにたくさん存在していたはずの住宅や建物が全く見当たらず、人が住んでいない地域が多いことに驚かされました。また、実際に被災された方々のお話を直接うかがうと、いかにあの震災が与えた影響が大きいものであったかをあらためて感じることができました。

大地震などの自然災害を防ぐこと自体は困難かもしれませんが、実際に災害が起きた際、被害を少なくするためできることはたくさんあることが確認できた大変有意義な県外視察となりました。